銀色じゃないのになぜ銀閣寺って言うの?

銀閣寺へ行く葵とマッチャ

葵とマッチャは金閣と対になり親しまれている銀閣にやって来ました。

葵ちゃん、金閣の時のおさらいだよ。
銀閣は通称『銀閣寺』と呼ばれているけど…?

正式名称は『慈照寺』の中の銀閣ね。

ピンポーン!

で、この銀閣があまりにも有名で、通称『銀閣寺』と呼ばれているってことだったよね?
金閣と一緒なら、そういう事だと思うけど…

大正解!バッチリだね!

葵は鼻高々でしたが、ここでマッチャにずっと疑問に思っていたことをぶつけてみました。

でもさ、金閣がキンキラキンの金箔で覆われた金色の楼閣だから『金閣』でしょ?

そうだよ。

銀閣は、別に銀色でもなんでもないのに、なんで銀閣って呼ばれてるの?あ、もしかして錆びてああいう色になっちゃったとか?

銀閣寺へ行く葵とマッチャ

マッチャは、葵からのこの質問を待っていました。

良い質問だね。
銀閣は、そもそも銀色じゃなかったんだよ。

銀閣寺(慈照寺)

ただ、金閣と対をなしてそう呼ばれているだけなんだ。

そもそも金閣と銀閣は建てられた時代も違うし、ただ我々が便宜的に勝手にそう呼んでるだけなんだよ。

葵は、もともと銀とは何の関係もなかったことに驚きましたし、建てられた時代が全く異なるというのにもびっくりしました。

金閣は3代目の将軍、足利義満の時代に建てられて、ちょうどそのころは日明貿易で中国大陸から豪華絢爛な文化が日本に入ってきていた『北山文化』という文化が栄えていたんだ。

足利義満?
北山文化?

そう。「華麗で優美な様式」が特徴の北山文化だからキンキラキンなんだ。

北山文化は、室町時代前期に栄えた文化です。
室町時代前期は、武士が政治の中心となり、文化の担い手も武士へと移りつつありました。

そんな時代背景の中で、武士の足利義満が中心となって、武家文化と公家文化が融合した新しい文化が生まれました。これが北山文化なのです。

対して、銀閣の方は、8代将軍の足利義政の時代に建てられて、その頃の文化は東山文化といって、簡素で気品のあるものが流行っていたんだ。

東山文化は、室町時代中期に栄えた文化です。
室町時代中期は、武士の権力が強くなり、政治や文化の中心も武家へと移りつつありました。

武家の足利義政が中心となって、公家や禅僧の文化と融合した東山文化という新しい文化が生まれまたのです。

だから派手にきめれば良いってものじゃないよねってことで、銀閣はこの雰囲気になったんだよ。

マッチャって、本当に何でも知ってるのね…!

葵は感心しました。

マッチャは嬉しそうに胸を張り、続けます。

銀閣寺(慈照寺)の向月台でわびさびを学ぶ

葵ちゃん、【わび・さび】って聞いたことある?

もっちろん。
日本っぽいってやつでしょ?
わさび的な?ジャパニーズ!みたいな?

マッチャは思わずずっこけました。

う~ん、違うんだなぁ…

え!?わさびって【わびさび】が語源なんじゃないの!?

だって、ホラ、お寿司屋さんで『サビ抜きで』とか言うじゃん!

違う、違う。
あのね、わび、さびを漢字にしてみると分かりやすいんだけど、【わび】は『侘しい』の漢字、【さび】は『寂しい』の漢字を使っているんだよ。

わびしい?さびしい?

うーん、そうだな、ひと言では説明できないような深い意味があるんだよね。

質素で決して派手さや豪華さは無いけれど、なんとも言えない風情があるような、いわゆる『余白の美』というものを感じさせるような言葉なんだけど…

うう…
分かるような、分からないような…

このね、【わび・さび】っていう日本特有の美意識が生まれたのが、この銀閣、というかこの時代、つまり『東山文化』の時代だったって言われているんだ。

マッチャは子どもに見えるけど、実はすごく歳を取ってるのかな…などと思いながら、葵は改めて慈照寺の境内に溢れる、確かに派手ではないけれど、ほどよく落ち着きのある景色をしばらく眺めて時間を過ごしました。

東山文化の特徴は、シンプルで質素なものを美とする「わびさび」の美意識です。これは、禅の思想の影響を受けたものです。この時代の芸術作品には、わびさびの美意識がよく表れています。

東山文化の代表的な建築物の代表が銀閣寺(慈照寺)なのです。

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